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悠渓(ゆうけい)

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ペン字の練習記事を中心に、男子ごはん、映画など、日々の出来事を綴っています。

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まとめ
02月28日(土)

『映画「永遠の0」』

昨夜、第38回 日本アカデミー賞の結果が発表され、
最優秀作品賞は「 永遠の0」が受賞した。
最優秀主演男優賞は岡田准一に決定(主人公の宮部久蔵を演じた)。

原作小説を書いた百田尚樹さんはいつも原稿を執筆する前に、
資料関係の本を200~300冊ほど読みこなすそうだ。

「永遠の0」は小説も読んだけど、そう言われてみれば、
確かに資料の寄せ集め的な文章もあったかな。
それはともかく、この作品は凄腕の零戦乗りを通じて、
命の尊さや家族愛を描いた傑作だと思う。
世間には「特攻を美化している。」
との批判もあったようだけど、そんな印象は受けなかった。

読後、数ヶ月してシネコンに行ったとき、ふと見ると、
ロビーにでっかいパネルが展示してあって、
そこには航空兵の姿をした岡田准一の写真と、
「永遠の0」のタイトルが!
「おお!映画化決定なのか!」
とそのとき心が踊ったけど、危惧する点も…。

実は、わたしはお涙頂戴的な邦画が大きらいなんだよね。
たとえば映画「ドラえもん」を観て何で大人が泣かなきゃならんのダ?
そういう作り方がいや。
泣ける作品=名作=ヒット間違いなしみたいな、
制作側の鉄板的思考自体がとてもいやだね。

とりわけ映画がクライマックスに差しかかると、
ここぞとばかりに挿入曲が流れて、
しかも歌詞の内容が映画のストーリーと一致してたりする。

「さあ泣けここで泣くのだ一気に行け」みたいな。
仕組むんじゃぁない。そういうあざとさが嫌いだね。
もちろん歌や曲そのものは良いのだけど、
「まずコラボありき」っていう決まりきった考え方がいや。

映画「永遠の0」の作り方もそういう魂胆なのは観に行く前から分かっていた。
なので「ふん、誰が泣くもんか。」
って気分で劇場に向かったのだった。

ま、それも反抗期の青年ならではだけど(*・゛・) ウンウン。。。

ヾ(-_-;) o○(だれが?どこが?)

やはり戦闘シーンのCGはすごい。
これは映画ならではの迫力だ。
田中泯、新井浩文の無骨な男らしさも良いなぁ。

そして教え子を戦場で次々に失い、欝状態に陥っていく、
主人公の宮部が最後の出撃を迎える。

「オレはあいつらの犠牲の上で生きながらえている。」

あの時代、上官に意見し、特攻を批判し、
あれほど生き伸びることに固執して臆病者呼ばわりされながら、
日本に残してきた妻子のもとに必ず帰ると約束していた宮部。

「自分は必ず帰ってくる。たとえ死んでも帰ってくる。
螢になってでも君のもとへ帰ってくる。」

新妻にそう語っていた宮部が最後の最後に取った、思いもよらない行動とは…?

クライマックス・シーンでサザンの主題歌「螢」が流れたとき、
不覚にもボロ泣きしてもうた~!(ToT)コンチクショー!


 
02月22日(日)

映画「悼む人」

(ネタバレ注意)
天童荒太氏の小説(直木賞受賞作)の映画化。
ある青年が全国各地を放浪しながら、
新聞、週刊誌の記事などを手がかりに、
交通死亡事故や殺人事件の現場を訪れ、
会ったこともない故人が生前、どんな人たちから愛されていたのかを、
関係者に訊いて回っては地面に跪いて、
「あなたのことはけっして忘れません。」
と呟く(悼む)行為を繰り返していく物語。

ほかに、世の中の欺瞞に耐え切れなくなって、
妻に自分を無理やり殺させた夫やら、
「自ら命を絶たなければ愛する人の心に残らない!」
との思い込みから、
死を決意する女などが重要な役どころで登場。
…って、何なのだこの人たちは?

ある両親は子供が同級生にいじめられたあげくに殺された心情を語り、
あるいは、女を作って母親を捨てた亡き父を憎悪する週刊誌記者の話など、
共感できるエピソードもいくつかあったものの、
物語の根幹部分でこれほど感情移入しにくい作品もめずらしいと思った(+_+)

主人公の青年は死んだ相手が誰であれ、
たとえ死刑囚であろうとも悼むことに変わりはないと言う。

それは尊い行為かもしれないが彼は宗教関係者ではないし、
自分とは何の関わりもない赤の他人である死刑囚の死を悼むというその言葉は、
独りよがりのように聞こえてしまって違和感があった。

そもそも彼は殺人事件に巻き込まれて肉親を失った遺族側の感情を、
どう捉えているのか?
勝手に殺人現場を訪れて、目の前の遺族に対して、
「犯人を憎んでしまったら、犯人を悼んであげることも出来なくなります。」
などと平然と語るのは配慮が足りないというよりも、
遺族感情を全く無視している。
凶悪事件の犠牲となった遺族の神経を逆撫ですることに対して、
彼は何の抵抗もないのだろうか?

それとも彼の言い分こそが正論で、どんなに残虐な事件であろうとも、
「たしかに犯人を恨んだところで殺された人間が生きて帰ってくるわけではない。」
と考える人が大多数なのかな?
しかし当事者と傍観者では温度差がまるで異なる筈だし、
実際に遺族の立場になってみなければ本当の気持ちは分からないと思う。

主人公はとても純粋で信念も伝わってくるものの、
悼む行為というのは彼自身と、彼には無縁の死者との関わりであって、
少なくとも客観的には彼一人の心の中の出来事にすぎないように思える。

しかし殺人事件の遺族の前で持論を述べるのは、
他者と関わることから社会的な意味合いを持つ。
そのとき彼の意に反して相手を深く傷つけてしまうことは当然あり得るわけで、
その点に関して全く無頓着でいられる(ように見える)彼の心理というのは、
ちょっと理解できないな。

彼にとって悼むとはどういう事なのか?

自分に縁もゆかりもない故人を心に刻むのはいいけど、
目の前の生きた人間の心の傷口を自分がさらに広げてしまうかもしれないのに、
その事に気付かない(または平然と無視する)というのはどう考えてもおかしい。

それに霊能者でもない彼が、
亡くなった人物と唐突に会話を交わしたりするのも無理があるように思う。
死者の霊を登場させて、
「君が悼んだところで死んだ人間は誰も喜んでいないさ。」
などと逆説的に語らせるのが目的なのだろうけど、
映像に頼らない小説とか、視覚を制限して、
セリフに集中させることが可能な舞台ならともかく、
雨宿りをしている廃バスの中に雷鳴とともにいきなり霊が出現し、
それを見た主人公が「あ?亡くなった○○さんでしょうか?」
とか言って話しかけるのはあまりにも突飛すぎる。
(おまけに霊は生前と同じ姿なので視覚的には普通の人間に見えてしまう。)

この作品は死という普遍的なテーマを扱っている割に物語の設定が特異で、
感動的な一面があるにせよ全体として現実感が希薄なのは否めないと思う。
何と言ってもその点が残念だった。

観終わったときの第一印象としては、
「うーん。こういうのはどうなんだろう…。」(ビミョー)
といったところ。

ただ、生き方や物事に対して絶望してしまうと、
(こう言うと語弊があるかもしれないが)
人は自己満足の世界に希望を見出すのかもしれないとは思う。

「悼む人」は精神領域の話しなのでこれを映像化するには限界があるけれども、
真摯に作られたこの映画からは、静けさや優しさ、愛や感謝の気持ち、
淡々とした詩のような雰囲気が伝わって来る。
最後の方はファンタジーっぽくてまさに映像ならではの表現になっていた。

俳優陣も良かった。主人公の母親役で、
死を目前に遠い目→(≡_≡)をした大竹しのぶの穏やかな演技は、
やはり凄い女優だと感心させられる。

監督は堤幸彦氏。
堤監督と言えば「TRICK」や「スシ王子!」の、
おバカっぽいコミカルな演出ぶりが異彩を放っていて、
ロープにしがみついたまま崖に宙ぶらりんになってしまった上田次郎と山田奈緒子が、
「このままでは二人が助かるのはムリだ。何をすべきかわかっているな?
さあロープから手を離すんだ(崖から落ちろ)」
「いやお前が離せ」「いやお前だろ」
などと言い合って互いに相手を蹴りまくるシーンが頭をよぎるけど、
堤幸彦監督は「悼む人」のほかに「まぼろしの邪馬台国」など、
シリアスな映画も撮った個性派。
今度はどんな物語を観せてくれるのか次回作が楽しみ(⌒◇⌒)